食い物本脇道散歩 その一

食い物本脇道散歩 その一

須賀 章雅

飲み食いについての本はやはり気になる。ご多分にもれず、ひと頃は池波正太郎の随筆に読み耽った。フトコロの寂しかった若い時分、『食卓の情景』、『散歩のとき何か食べたくなって』などの頁上で、まだ知らぬ旨い物屋を訪れ、安酒片手に愉しんでいた訳なのだ。

昼間の蕎麦屋で銚子を傾け、映画の後にホテルのバーかなんかに立ち寄り、ドライマチーニを一、二杯飲んでサッと席を立つ、なんていう暮らしは酒を嗜む男の理想のようにも思え、アコガレたものである。「鬼平」「梅安」「剣客商売」の三大シリーズと並んで大長篇「真田太平記」を連載し、さらに他の小説やエッセイもこなすという作家生活の過酷さなどには、チイとも思い及ばぬ若造だったのだけれど。

語り下ろしの『男の作法』ではたしか、結婚の後、家でマズイものを食わされたら、お膳(食卓)をひっくり返せ、でないと一生食いたいものが食えないぞ、というう風な過激なことが奨められており、カッコイイなあと感じ入ったものだが、実行した男たちはその後、悲惨な家庭生活を送ったのではなかろうか。没後の回想によると、実は池波夫人も手を焼いていたというか、夫の食事には随分と神経を使っていたらしい。すべては相応の稼ぎのある人気作家だからできたワガママ、関白ぶりなのだ。

同業の中にも池波エッセイの愛読者は多く、遠藤周作夫人も、こういうのを晩酌のときに作ってくれろと頁を示され、豆腐と油揚げとか、繊切り大根と浅蜊の剥き身とかの「小鍋仕立て」を夫から所望されたそうだ。

さて、池波さんの綴る寿司屋や洋食屋のあの店、この店にいずれは行ってみたいやと夢想した若年の私だが、その後もフトコロに余裕なく、結局、今日までに訪れたのは神田・連雀町と、浅草・並木の二軒の〈藪〉蕎麦のみ。蕎麦屋では、味もいいが盛りもいいと評判の神田・須田町の〈まつや〉にいつか足を運んでみたいと思っているうちに、人生も先が見えてきた。噂だが、この店には池波さんの文庫本を読みながら、酒を啜っているファンが本当に座っているそうな。去年の末にラジオで〈まつや〉の主が話していたところによると、大晦日には持ち帰りの四、五千を入れて、六、七千食が出ると云う。うーむ。上京の機会いま一度あれば、これはやはり食してみたいものではあるよなあ。

須賀 章雅
一九五七年生まれ。平岸在住。古書店店主にして湯煙り詩人。著書に『貧乏暇あり―札幌古本屋日記』がある。@sugadateman2
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